お米の歴史:米、イネ、稲の歴史−古墳時代からのお米の歴史を考えてみます。

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お米の歴史、稲作の歴史、渡来民の歴史、種類や品種はどうだったのか?

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お米の歴史
稲やイネの誕生は
いつ頃なんだろうか?



  
  米、イネ、稲

野生のお米、古代のお米、進化を続けるお米、イネ、稲作、陸稲、水稲、お米の源流にせまります。


「お米の歴史」
「参考資料」

● 「イネの歴史」


  佐藤洋一郎
 京都大学出版部

● 「稲の日本史」

縄文人も米を食べていたか?

  佐藤洋一郎
  角川選書

●「稲作渡来民」

日本人成立の謎
 に迫る

 池橋 宏
 講談社

●「稲の大地」

 「稲の道」から
 みる
 日本の文化

  渡部 忠世
  小学館

●「百年の食」

  耕す、実る、
 食べる
 うれしさ

  渡部 忠世
  小学館

●「合鴨ばんざい」

  アイガモ水稲
  同時作の実際

 古野 隆雄
 農文協





★★★  米、イネ、稲の歴史  ★★★
世界、アジア及び日本

 

   
 
    
お米の歴史 稲作の歴史


    私たちが毎日食べるてるお米が、今日に至るまで、
    領土、 水利権、支配権 戦いで、多くの血が流れた。

   また国家の税の基盤として、多くの貴族、武家、農民また
           農耕文化、職人文化、を生む。

     古代のお米、お米の歴史、お米の品種の歴史、
    お米の文化、 お米の農耕の歴史を考えてみます。


 

お米の歴史   1.野生イネの誕生はいつごろか

 

    地質時代からみれば、巨大な隕石が地球に衝突した、
    新世代の6500万年前か、或いはもっと古く中世代、
   古世代に、被子植物として、存在していたかもしれない。

   はじめは、暗い森の中で、進化しながら、
 生き延びてきただろう。
  くすだま、ハトムギ、バナナ、野生イネなどは、多年草
   なので、何十年も生き続けるし、突然変異も起こりうる。

   何百万年と永いあいだ、変異を繰り返しながら、
 存在してきた。

  イネは、人間がうまく管理栽培でもしなければ、
   実をほとんど つけない。

 人類もチンパンジーから分離したネアンデルタール人は、
 不幸にも絶滅したが、クロマニヨン人だけが、
 
   農耕を身につけ、この地球でどうにか、生き延び
  、西アフリカから3つのルートで
   地球に拡がってきたのだが、
    タロイモ、バナナ、木の実、採集、狩猟などで、
  食いつないできたのだろう

 ヒトも何十万年と永い永い原始時代の中で、ゆっくりと進化
 遺跡で残るのは、石器時代からしか、推定できない。

 戦後 イネからみれば、この国の遺跡調査や、韓国、中国
 インドシナ等の調査が進み、かなり解明されつつあります。


お米の歴史   2.野生イネから穂が出はじめる


 
    イネ属(オリザ)が森を出て、陽の当たる、
     水のある干潟などで自生するようになるが、
            まだ穂はでなかった。

   やがて一年性のイネが出てきて、
          実をつける時代がやってきた。
   多分16000年前位だろう。
  ヒトが狩猟と採集で生き延びてきたのもこのころである。

 氷河期がきたり、異常気象で、生き延びるには、どうしても
 農耕生活は不可欠であった。
         16000年前に氷河期が終わる。

 タロイモやクリ、ヒエの栽培からはじまり、野生イネはまだ
     採集のみで、食していただろう。

 イネはいまでも焼き畑でもできるが、3年もつくれば、
     25年以上も、輪作障害で実がならない。
                他の農作物とおなじ。

  水田が不可欠なイネだが、自然農法の知恵があれば、
  別に水田はいらないのだが〜

 麦、そば、粟、もろこし などもいまでも 何年かに一度 
     畑を休ませる。

 イネの栄養が水から吸収されるようになったのは、
 揚子江の河口周辺だろうと思います。

 アッサム、雲南省ともいわれていますが〜イネの種類
    は何千種類といまでもアッサムには、存在する。


お米の歴史    3.野生イネの栽培化に成功 
     → 水と栽培地争奪戦




 はじめは、ゆっくりと稲作が展開されていくが、
 すぐにも、もっと広い土地と水での共同作業が必要になって
 くる。

 保存の効く、イネが水田があれば、効率的に
 確保できれば、
 平地で水のある干潟、土地の当然争いがおきる。

   争いに破れたり、新天地に集団で大移動が、
 中国、東南アジア、朝鮮半島でおこり、かんごう集落、
 古墳が次々に建設されていく。
        このころは、国の概念は、まだない。   
 どこでもあいた土地があれば、稲作をおこなった。 


4.栽培地の大移動と争いの始まり 
古墳時代の誕生

 

 日本では縄文時代が終わり、弥生時代から米作にはいる。
 紀元前300年から紀元300年ころまでである。

 日本列島も何百、何千と渡来人により古墳が創られた。
 殆どが、南方か、中国、朝鮮半島経由で、
     九州や日本海沿い
               東北まで植民地ができる。
  牛や馬、鉄器、青銅武器とともに、イカダでやってきた。

       中国、百済、新羅、満州地方から
 琉球、トカラ、九州、本土、利根川、東北地方まで入り込み
 稲作を始めた。


5.アレキサンダーの死と稲作の東方伝播
やがて、飛鳥、奈良の時代へ


 
 九州から始まった、稲作渡来人の海からの移動は、
 瀬戸内海からは、大阪湾、奈良盆地へ、関東では
 利根川沿いに秩父や栃木、茨城、鹿島、多賀城へ

 出雲、松浦、対馬、有明、日向、西九州、甑島など
 どこでも、稲作の可能な土地があれば、日本全土に定住
 していった。

 品種改良も盛んに行われ、古墳時代の終わり頃、
 起源300年ころには、60万町歩の水田がつくられ

 朝鮮半島から古墳にかわって、高床式の新田、住居が
 出来る頃には、100万町歩の水田管理、農奴、税の
 取り立てが行われる。

   唐、新羅或いは百済系統の王族が奈良盆地や秩父に
         植民地をつくっていったようだ。

    奈良には何十にも王族が覇権をあらそい、

  とりわけ、卑弥呼が滅び、百済、大和政権が
     白村江に破れた後は、大挙して、唐、新羅連合軍
  に、奈良盆地や九州、秩父、東北、北海、樺太など

  全ての琉球、日本列島、北海までもが、唐、新羅 
  連合軍に植民地化され、
          駐留軍の基地が全土に拡がる。

  ちなみに天皇家は満州の扶余出身の金族であり
  中臣氏(のちの藤原氏)は唐人、伽羅王国の子孫
  金庚信である。

  唐以前の中国、アジアはギリシャ アレキサンダー
  の植民地であり、各地、部族ごとに統治者がいが

  アレキサンダーがギリシャに帰る途中に病にたおれ
  唐国家が独立、漢族の国にもどる。

  やがて唐が滅亡、新羅族のクーデター(大化改新)を
  迎え、中臣氏が担いだ 満州系 今の 天皇家 が
  表舞台にたつ。

  中臣氏(阿蘇 弊立宮)が北九州から、伊勢神宮を
  いまの、 伊勢に移し天皇家の基礎を造る。

  見返りに、この国の実権を事実上掌握、唐、新羅から
  の独立を、計り、わたしたちが知る飛鳥時代を
  迎えることになる。


イネや稲はどこから
きたんだろうか?



 
イネははじめは、食べ物では、なかった。実をつけないのだ。何百万年の進化の結果だった。



 「参考資料」

● 「稲作の起源」

イネ学から考古学
  への挑戦

 池橋 宏
  講談社

●「稲を選んだ
  日本人」

  民族的思考の
     世界

  坪井洋文
  未来社


●「コメを選んだ
  日本の歴史」

  原田信男
  文芸春秋

●「稲作の起源
  を探る」

 いま、なにが、
どこまで、わかっているのか?


  藤原宏志
  岩波新書

●「日本のコメはどこから来たのか」

  稲の地平線
  を歩く

  渡部忠世
   PHP

● 「自然に還る」

 耕さず、草とらず
 農薬、肥料いらず

自然農法の提案者

  福岡正信
  春秋社

●「わら一本の
     革命」

 
自然に仕えれば
 自然の恵みが
 与えられる


  福岡正信
   春秋社